February 12, 2017

旧庄屋 佐藤家(福井)

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 今回の記事は昨年8月、旧佐藤家(福井)を見学した時の画像・・・、北国街道沿いに興味がありました。

北国街道ロマンではないですが、道の歴史は、人の歴史でもある。

昨年3月信州上田城近くの北国街道を歩き・・・、越後の道もまた諸国へ通じている事を実感しました。

道そのものには昔日の面影はないが、曲がりくねったこの街道を行くと・・・、

歴史の道のりや重みを街道沿いの民家や寺社仏閣、城址などに伺い知る事が出来る。

そこには、史実や伝承も多く残されている。

福井地区は北国街道沿いに神社や仏閣、庄屋、古墳などが点在し、6月中頃から、ほたるが飛翔するなど、里山情緒を残す地域です。

画像の旧庄屋佐藤家 は 江戸時代後期の建築(かやぶき屋根)で、庄屋の役宅として建てられました。

数か所の改築はありますが、ほぼ建築当時の間取りが残っています。

1月のブログ で 幕末の越後が生んだ2書人の筆致、比べて楽しむ「良寛と巻菱湖」展を掲載しました。

巻菱湖さんの生誕の地が新潟市西蒲区の福井ですね!→左画像の案内板より

佐藤家 に ついては後日「その2」に掲載します。

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October 12, 2015

燕・三条工場の祭典 その3(手仕事展)

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 燕・三条工場の祭典に合わせ、燕市産業資料館で企画展「第四十一回燕手仕事展」が開催されています。

一昨年までは新年度最初の企画展として四、五月に開催されていた が 昨年から工場の祭典に合わせ十月に開催されています。

燕地域の職人二十八人による鎚起銅器や彫金、煙管など三十八点が展示されています。

右画像左の作品が知人である市川さんの作品、布目象眼八角鉄箱「楽譜Ⅱ」です。

右の作品が市川さんの息子さん、布目象眼を施した香合を出品されています。

市川さんとは親しくさせて貰っています・・・、書道展にはいつも鑑賞してもらっています。

市川さんの作品、モミジなどの布目象眼を施し、持ち手に木目金を用いて豪華に仕上がっていると評されています。

以上で工場の祭典1~3の記事終わります。

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October 11, 2015

燕・三条工場の祭典 その2

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 燕・三条工場の祭典、10月第一週の週末三、四日は参加企業、団体での見学の他に体験イベントが盛りだくさんです。

県内外から若者、夫婦、親子連れ、学生や主婦のグループ、外国人など参加者もめったに体験できないモノづくりの一端に触れる。

改めて燕・三条の職人技のすごさに感動・感動を大きくしたと新聞に報じられている。

左画像が燕産業資料館での体験コーナーです。

右端の画像が5年前の画像で小皿を制作しました。

燕市産業資料館で鎚起銅器の制作体験⇒鎚起の技術で世界に一つだけの銅の小皿が作れます⇒ 燕手仕事展の一環として企画され参加しました。

”工場の祭典”に合わせ、企画展「第四十一回手仕事展」が開催(~11/01迄)されていますが、後日 その3 に掲載します。


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October 04, 2015

燕・三条工場の祭典

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 燕三条地域をエリアに10月1日~4日まで地元の主だった企業・団体がいっせいに工場・作業現場を開放して、モノづくりの現場を見学・体験・体感する事ができるイベントが開催されました。

一昨年から始まったイベントで今年が三回目、今回は過去最多の六十八社・団体が参加との事です。

体験イベントも3日は三十八社・団体、今日(4日)の日曜日は二十四社の予定だそうです。

画像は昨日燕市産業資料館に行きました。

鎚起銅器の体験コーナーが左から3番目の画像です。

”工場の祭典”に合わせ、同資料館で企画展「第四十一回手仕事展」が開催されていました。~11/01迄

工場の祭典 と 合わせ、後日その2に掲載します。

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April 05, 2015

私塾「長善館」

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「長善館」は1833年(天保4年)、鈴木文台先生によって旧吉田町の粟生津村に創設される。

明治末(1912)年迄約80年間、初代館主 鈴木文台(ぶんたい)先生、二代惕軒(てきけん)先生、教師 柿園(しえん)先生、三代彦嶽(げんがく)先生の4人の先生が1千人を超える人材を教育した私塾です。

右画像に上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)公を掲載しました。以前はなかったと思いますが?少し触れて続編とします。

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)、(1751年9月9日 - 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主です。

領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。

上杉鷹山公の名言のひとつ
「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」「成らぬは人の なさぬなりけり」

「長善館」と「上杉鷹山公」合せて続編 その2に掲載します。


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June 08, 2014

6月8日(米納津隕石)

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 燕市指定史跡 米納津隕石落下地点記念碑(燕市富永)です。

実際の落下地は碑より数十メートル西へ行ったところと言われています。

米納津隕石、重さは一個体の隕石としては全国三位の31.65㎏です。

今から125年前天保8年6月11日、午後の3時頃、弥彦山と国上山の間から異ような音をたてて何か飛んで来た。

そして大字富永字三番割という田の中へ落ちました。

画像の後方が弥彦山です。

 右画像が昨年9月、新しくなった燕市役所つばめホールで「米納津隕石(いんせき)里帰り展」が12日~23日の会期で開催・・、その時の画像です。

隕石とは、「宇宙から地球に落ちてきた他天体の破片」のことです。

45億年余り前の原始太陽系の中で形成された小天体の破片です。

地球は“鉄の固まり”ですが、人類が初めて「鉄」を知ったのは、隕石からという説?

つまり、人類は「空から鉄を知った」と言うわけです・・・・・。

隕石と「鉄に」ついて記事にした事がありますが 又 機会があれば綴ります。

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November 10, 2013

『米納津隕石』里帰り展 その3

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『米納津隕石』里帰り展 その2から 1.5ヶ月経ってしましました。

全国3番目の米納津隕石、隕石の落下の状況を綴りました。「長善館」の資料一部抜粋、画像と合わせて見て下さい。

今から125年前天保8年6月11日、午後の3時頃、弥彦山と国上山の間から異ような音をたてて何か飛んで来た。そして大字富永字三番割という田の中へ落ちた。

村は上よ下への大さわぎである。

異ような音とはちょうど蜂の巣をこわすと、なかにいた蜂の大群が一斉に外へ飛び出した時の音色と同じく、音の大きさと言ったら、その何百倍にもあたる音をたてて、飛んできたのである。

その時、村は田の草取りのさいちゅうである。

この異ような音で、村人は田の草取りの手をやめ、天から何物が降って来るのかと、われ先にと道をあらそって家へ逃げ走った。

だが、その時、伊平太のカカ(お母さん)だけは逃げなかった。

天から降ってきた何物か知れない奇物は、その伊平太のカカ(お母さん)が田の草を取ってすぐ後に、水柱1丈有余(約2m50㎝)もまきあげて落ちた。

それから富永の血気ざかりの若連中が、落ちた場所へかけつけてみると、1人だけ、逃げずに田の草取りをしていた伊平太の、お母さんが倒れている。

若連中は、さっそく伊平太の母ちゃんをだきあげ、「母ちゃんしっかり!伊平太の母ちゃん」と声をかけると、気ぜつした伊平太の母ちゃんは、しばらくしてから……ようやく生気をとりもどり、「何物が落ちたのだろうーーいや―こわかった。おっかなかった……」と、ふるえながら小声で言った。

それこれしている内に村人達が多くかけつけて来て、現場をみつめ、「何物が落ちたのだろう―」と口々に言いあった。

落ちた現場は、稲は約1坪はど(1.8四方)あかくやけていた。

そうして、その真中をよく見ると「大人のにぎりこぶしくらいの穴があいている」とだれかが言った。

・・・、こうして掘って行くと、地下約6尺(約1m80㎝)の所に石のような物につきあたった。

決死隊の人達は「なぁーんだ平凡な石だぁー」と思いそれを掘りあげ、なお2尺(約60㎝)ほど掘ってみたが何もなかった。

天から、さっき落ちて来た物は、するとこの石か?と言って、どろだらけの石をみんなみつめあいながら、不思議な顔を寄せ合っていた。

道ばたに、掘りあげた石のどろを水で、きれいに洗いおとしてみると、褐色の色を見せておった。

それをじっと見つめていた村人達は、口々に「これはいったい何だろう。石にして石にあらず?鉄にして鉄にあらず?これなる奇物いったいなんだろうー」と言って、誰一人としてわかる人がいない・・・・・・。


隕石と「鉄に」ついて記事にした事がありますが 又 機会があれば綴ります。

隕石とは、「宇宙から地球に落ちてきた他天体の破片」のことです。

45億年余り前の原始太陽系の中で形成された小天体の破片です。

地球は“鉄の固まり”ですが、人類が初めて「鉄」を知ったのは、隕石からという説? つまり、人類は「空から鉄を知った」と言うわけです・・・・・。

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September 29, 2013

『米納津隕石』里帰り展 その2

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 米納津隕石ってどんな隕石でしょうか?隕石にはどんな種類があるでしょうか? 疑問になりますね!

画像にもありますが 隕石の種類は大きく分けて3種類です。

米納津隕石は石質隕石に分類されます。更に球粒(小さくて丸い石の粒)が含まれていることから、球粒隕石に分類する事が出来ます。

隕石のほとんどがこの球粒隕石に分類されます。

石質隕石の成分は岩石の割合が75%以上です。

他に岩石(石質)と金属の割合がほぼ同量の石鉄隕石 と 鉄・ニッケルが90%以上の鉄隕石(隕鉄)があります。

以前のブログより~鉄隕石について書いた記事です。

隕石とは、「宇宙から地球に落ちてきた他天体の破片」のことです。

45億年余り前の原始太陽系の中で形成された小天体の破片です。

地球は“鉄の固まり”ですが、人類が初めて「鉄」を知ったのは、隕石からという説? つまり、人類は「空から鉄を知った」と言うわけです。

隕石にはたくさんの「鉄」が含まれています。

「鉄」というものは、私たちの生活の中に密着し、なくてはならないもの、また、星も「鉄」が“源”であり、その量も豊富にあるのに、なんともナゾの多い不可解で不思議なものであるのです。

身近に大量に存在しながら、しかし、ナゾを秘めた―。

人間と「鉄」との出会いは、“天から降ってきた”というのが最初ともされています。

つまり「隕石」です。

また、鉄鉱石の鉱床の上での山火事をきっかけに、「鉄」を知ったとも言われます。

しかし、人類が実際に「鉄」というものを自分たちで利用し始めたのは紀元前1200年頃とかなり遅いのです。

「鉄」について連載中ですが なかなか進んでいませんですね!

続編 その3では米納津隕石の歴史について掲載します。

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September 23, 2013

『米納津隕石』里帰り展

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 新しくなった燕市役所つばめホールで「米納津隕石(いんせき)里帰り展」が12日~23日の会期で開催・・、鑑賞しました。

燕市富永地内に落下した米納津隕石、以前にもブログでシリーズで掲載した事があります。

当時の歴史資料や隕石について わかりやすく展示されていました。

右画像は13年ぶりに燕市に里帰りした隕石です。

重さは一個体の隕石としては全国三位の31.65㎏です。

後日 以前の記事と合わせ その2 で掲載します。

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September 08, 2013

燕市産業資料館 №3

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和釘づくりは明治維新の開化により、外国との交易が盛んになり、外国から洋釘(現在のくぎ)が輸入され、
多数の和釘職人は釘づくりの生産工法を基本にそれぞれの業種に転職しました。―№2より

生活用具として矢立(やたて)火箸(ひばし)灰ならし、銅器、きせる、やすり等 又 農工具では、くわ、すき、かま等です。

それぞれ各分野に転業、転職して伝統の金工技術の継承をつづけたのです。

画像左は農具で唐箕(とうみ)です。―金工技術とはちょっと違いますが珍しいので紹介します。

籾(もみ)や米の中に混じっている塵やゴミを風力を利用して分別する道具です。

風力調整は手まわしです。(ハンドルを手加減で回し風力調整します)

右画像は№2で三条の鍛冶道場の資料を紹介しました。

昨日の日経の新潟版で、伊勢神宮からの依頼で、和釘やかすがい、座がねなど計28万個の鉄製金具を納入した記事が掲載されていました。

伊勢神宮の社殿を20年ごとに建て替える「式年遷宮」で使われる和釘など を 三条工業会が窓口になって、金属部品を一括受注した。

手づくりで一つずつしか作れない部品から、レーザー加工で大量生産できるものまでさまざまのようです。

画像はありませんが・・、伊勢神宮の遷宮記念で、全国の老舗の5社・燕の組合が共同で最高級食器セットを開発した記事が日経で先月掲載されていました。―伊勢神宮に食器セットを奉納

フォークや有田焼の皿、漆塗りの箸などがあり、各地の老舗が伊勢神宮をイメージして開発、伝統的な日本を訴え海外にも売り込むようです。


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より以前の記事一覧