February 05, 2017

信州上田のお酒 №2

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画像は長野県上田市の日本酒です。昨年の7/23に別のお酒で同じタイトルで掲載しました。

その時に北国街道 柳町 岡崎酒造㈱に触れました。

画像左が岡崎酒造㈱の「亀齢-きれい」 ・ 右が信州銘醸㈱の「真田の里」です。

創業350年、上田一の老舗酒屋 岡崎酒造、全国に25人程しかいない女性杜氏の一人岡崎さんです。
亀齢(きれい)と言う銘柄のお酒、辛口でキレがありおいしいお酒です。~夕食(3/13)で飲みました。

上記は『真田丸』上田城・松代城⇒「その8」の記事で岡崎酒造を紹介していました。

特別本醸造「亀齢」原酒 は 味・コク・香り・三拍子揃ったお酒です。

上田城のほど近くで年間200石ほどを昔ながらの手造りで醸しております と ラベルに書かれている。

右が信州上田 真田丸の里、純米酒「真田の里」です。

2本の高級酒、後日ゆっくり飲みたいと思っています。

前回の信州清酒・真田六文銭特別純米酒 と 信州上田の地酒「福無量」 もおいしかったです。


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December 31, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その24 「最終回」

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 上田城・松代城見学は3月の13・14日、ブログに綴る事「その24」が最終回となりました。

気になっていた「水車」と「真田紐」について掲載します。

上田駅お城口を降りる と まず目に飛び込んでくるのは、木製の大きな水車ではないでしょうか。

この水車は、水車の下を流れている枡網用水(ますあみようすい)の水流の力によって回転させているとの事。

かつて電気が引かれる前は、水車は製糸・紡績の工業用動力として使われていたようです。

この場所にも、明治の頃から昭和30年頃まで実際に水車があったそうです。

新幹線を契機とした上田駅前再開発のテーマは「歴史と水と緑」であり、水車はこのモニュメントとして平成15年に竣工したものです。

駅からはそれほど大きく見えませんでしたが、近づいてみると、直径8m・幅1mは重厚です。

「真田紐」について歴史館でも説明を受けました。

関ヶ原の戦い後に九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子が真田紐を作製し、生計を立てていたという俗説がある。

真田紐は真田打ともいい、ひらたく組み、または織った木綿の紐のことである。

真田紐の組み方は、九度山に蟄居中、正宗、貞宗の脇差の柄を巻くのに作ったのが始まりである。

そこから真田父子の発明という真偽不明の逸話が生み出された。

困窮する生活の、わずかばかりでも足しにしようと木綿の紐を織る内職をして、家臣に行商をさせていたとされる。

真田紐は丈夫で伸びにくい性質があり、武具の締め紐などに重宝されたという。

これを売り歩き、天下の情勢に絶えず目を光らせていたのでしょうか・・・・?

伝説の多い真田家らしいエピソードである。

大河ドラマ『真田丸』も終わる。そうそう大河ドラマ館の入場者数が百万人に近づく話を一週間前に聞きました!-(最初の見学が大河ドラマ館でした)

友達Kさんとの二人の旅、大変想い出になり、道中は戦国時代の話に花が咲きました。

上田のYさんにも2日目の午前中小雪の中案内していただき・・・、大変お世話になりました。

素晴らしい2日間の上田・松代の旅 と ブログ24話でした。

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December 17, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その23  「信之」

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 「その19」から松代城、今回「その23」で5回になり松代を最後の記事とします。

次回「その24」が3月から綴ってきた 『真田丸』上田城・松代城を 完結 と したいと思います。

画像は真田邸、「信之」の画像は松代を訪れた時の1シーンです。~たまたまパチリと撮れました。

右端は3月の上田・松代見学とはまったく関係ありません「信之」リンゴです。

先日(12/11)信州上田 真田REDアップルの記事で書きました。

リンゴ「信之」の由来 ⇒ 赤色の縞模様と果実のデコボコ感が、戦国の世を戦い抜いた男の人間らしさを映す。

中央に入った蜜は、徳川幕府・太平の世にまで真田を繁栄させた武士の秘めたる魂を表す。

まさに「その19」から綴ってきた「信之」そのもので、右端隣、お墓に手を合わせている1シーンだったと思います。

いよいよ次回「その24」は『真田丸』上田城・松代城、最終回としたいと思います。

大河ドラマ『真田丸』も明日が最終回、「完結」です。


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December 11, 2016

信州上田 真田REDアップル

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 長野県は東の都・信州上田
古に栄えし真田の郷に実る赤備えの果実~真田REDアップル(信州上田産限定流通)です。

先日いつもお世話になっている上田のYさんからおいしいリンゴをいただきました。

上田城のシンボルである「櫓門」と、大河ドラマでも度々登場した「尼ヶ淵」からの上田城をデザインしたオリジナルパッケージに入っています。

右画像の六文アップル風呂敷の下がオリジナルの箱です。

左画像のカタログに3種類のリンゴが書いてあります。

上が10月上旬=「昌幸」~真紅甘熟~、まん中が10月下旬=「幸村」~紅明甘美~、下が12月上旬=「信之」~濃密堅実~です。

画像のリンゴは「信之」で濃密堅実(のうみつけんじつ)です。

いただいた夜に1個食べました。~リンゴは大好きですが、今迄食べた中で最高です。

リンゴの特徴と「信之」の由来を記載します。

リンゴの中で最も有名で国内生産トップシェアを誇る品種(ふじ)。

縦に色濃く赤い縞が入り、果実の表面は少しデコボコするのが特徴。

芯に蜜が入るタイプで、少し硬めの果実は酸味が少なめで甘味が強い。

「信之」の由来

赤色の縞模様と果実のデコボコ感が、戦国の世を戦い抜いた男の人間らしさを映す。

中央に入った蜜は、徳川幕府・太平の世にまで真田を繁栄させた武士の秘めたる魂を表す。

真田一族の魂を受け継ぐ信州上田の百匠が、真田の郷で丹精込めて作りあげた逸品です。

甘くて濃密でおいしさ抜群・・・、3月に行った上田城も懐かしく、大河ドラマ「真田丸」は次(12/18)が最終回です。

「真田丸」上田に始まって上田で終りそうです。

そうそう信州そば、ハムもおいしかった記憶です。―これからリンゴ食べます。


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October 08, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その22

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「その21」の続編真田邸・・・、真田大博覧会・画像は見事な庭園他真田邸です。

昨日(3/13)の夜から 少しづつ降り続いている雪が薄く積もっています。

【真田宝物館】―真田宝物館の画像はありません

旧松代藩主真田家から寄贈された家宝の武具、調度品、文書、美術品などを所蔵。

重要文化財の「青江の大太刀」、豊臣秀吉・石田三成・徳川家康・武田信玄らの書状など、大名家ならではの興味深い史料が多数展示されています。

【松代城跡】

戦国時代、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城されました。

千曲川のほとりという自然の地形を生かした天然要塞です。

江戸時代に真田信之が上田城から松代藩主として移った後は、真田氏10代が城主としてこの地を治め、10万石の城下町を形成しました。

平成16年に大規模な修復・復元工事が完了しました。

毎年4月中旬にはサクラの名所としてにぎわいます。

「その23」で松代を最終とします。


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October 02, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その21

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 信州松代大博覧会、2016NHK大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地、真田十万石の城下町 松代です。

松代藩初代当主 真田信之は「真田丸」の主人公 真田信繁(幸村)の兄であり、真田家は現在の十四代まで脈々と受け継がれています。

三施設共通券の真田邸、真田宝物館を見学、文武学校は時間がなく見学出来ませんでした。

撮影禁止箇所多く、画像は少ないです。

 【真田邸】
江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初 義母貞松院の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅となりました。

昭和41年(1966年)には真田家伝来の宝物とともに、長野市に譲渡され、今に至ります。
 
敷地内には主屋(御殿)と表門、7棟の土蔵などの附属施設に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも数少ない御殿建築の遺構です。

松代城跡の建築物として唯一、当時のままに残った貴重な建物で、間取りなどに武家屋敷の面影を色濃く伝えています。

小堀遠州の流れをくむと伝えられ、座観式の日本庭園が四季折々の彩りと風情を楽しませてくれます。

真田邸続編「その22]は立派な庭園の画像他数枚撮ってきていますので掲載します。


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September 25, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その20

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「その19」より ⇒ 上田から移ったのは、人だけではありませんでした・・・・。

城内の植物や灯籠迄と言うから恐れ入る。

海野(うんの)家ゆかりの白鳥神社をはじめ多くの寺社も移転させている。

真田家の菩提寺として幸隆が松尾城内(のちに城外へ移転)に建立した長谷寺(ちょうこくじ)も松代に移し、長国時と寺号を改めた。

松代は幕末まで、真田家の領地として存続する。

本拠の松代城は、武田信玄と上杉謙信が信濃国をめぐって争いを続けた川中島の戦いの舞台だ。

武田側の拠点だった当時は「海津城」と呼ばれていた。―画像右端

その後、「待城(まつじょう」と改名され、さらに「松城」を経て、「松代城」となった。

画像左が松代城周辺案内板と隣りが城内です。―松代城は平城で山城と違って上から見下ろすと言う感じではないです。

昔は櫓があり高かったでしょうが・・・、 今は見晴らし台から遠くを眺める事は出来ます。

残念ながら小雪の天候で見晴らしは・・・、川中島は近いです。

海津城は1560年に完成、有名な1561年の第4次川中島の合戦の舞台になりました。

「その21」はいよいよ真田邸です。後日掲載します。

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September 17, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その19

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8/21「その18」のブログより、⇒3/14午前で上田観光を終え、上田駅に着いたのが丁度12時でした。

12:33分しなの鉄道~屋代駅到着が12:56分、旧屋代駅前(千曲市)からバスで松代へ行きました。

雪が少し降り続き、道足が悪かったがいよいよ松代城見学です。―画像は松代城正面です。


幕末まで真田家の拠点となった松代!

関ヶ原の戦いが徳川家康の勝利に終ると、石田三成方についた昌幸は長男・信之の助命嘆願により死罪は免れたものの、先祖伝来の領地は没収されました。

代わりに上田の土地と真田家の家名を継いだのは、信之でした。

2度にわたる徳川軍撃退の恨みからか、家康は上田城を徹底的に破壊した後で信之に渡しています。

こうして信之は上野(こうずけ)の沼田城から上田城に本拠を移すが、信之による上田城の支配は1600年から、1622年までの23年間でした。

その後は松代に領地を移すように命じられます。

代々の土地を手放すのは身を切られる思いだったでしょうが、幕府の命令では逆らえるはずもなかった。

ささやかな抵抗だったのか、信之は松代の移転の際、後に上田に入る統治者にとって必要な書類をすべて焼いたしまったと言う。

おかげで新たに配属された仙石忠政は、領地の把握に四苦八苦したようです。

上田から移ったのは、人だけではありませんでした・・・・

続きは「その20」で後日掲載します。


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August 21, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その18

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3月15日の『真田丸』上田城 ・松代城―その1のブログより・・・

NHK大河ドラマ『真田丸』、上田城そして松代城観光に13日(日)・14日(月)の2日間行って来ました。

13日新幹線上田駅10:42分に到着、翌日(14日)の12:33分しなの鉄道とバスを利用 松代城に行く迄の約26時間は上田市でした。

13日は素晴らしい天候、14日は小雪でした。

友達 Kさんとの楽しい2日間の旅でした。

写真も100枚余撮りましたので続編 で ブログ掲載したいと思います。

以上が「その1」 の 記事、「その18」 は いよいよ上田とお別れして松代へ向かいます。

信鋼寺を最後に上田駅に着いたのが丁度12時でした。

朝9時から12時迄車で案内していただいた Yさんには大変お世話になりました。

12:33分しなの鉄道~屋代駅到着が12:56分、屋代駅からバスで松代へ行きます。

画像右が千曲市の屋代駅前です。―雪が少し降っている様子がわかります。―画像左は13日の上田駅前です。

続編 「その19・20」は―松代城・真田邸です。

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August 15, 2016

『真田丸』上田城・松代城―その17

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真田 信綱(さなだ のぶつな)と信綱寺(しんこうじ)をまとめる。~画像左から1・2番目

真田 信綱 は 戦国時代の武将。武田信玄、勝頼の2代に仕える。

幼名は源太。官途は左衛門尉。武田家の騎馬200騎持の侍大将。武田二十四将にも数えられる。

天文17年(1548)の上田原合戦で横尾氏が滅んでしまった後、真田幸隆の長男である信綱が打越に移し、大光智照禅師を迎えて大柏山「打越寺」と改称させたようです。

天正3年(1575)の長篠・設楽ヶ原合戦で信綱と次男の昌輝がともに戦死する。

幸隆の三男で甲斐の名門・武藤家に養子に出されていた武藤喜兵衛こと真田昌幸が戻り、真田家の家督を継いだ。
 
首長になった真田昌幸は兄の信綱の牌所として打越寺を改築し、大柏山「信綱寺」と兄の名前の寺に変えたのでした。

古城緑地広場~画像左から3・4番目

信綱寺の前に歴史の丘という六連銭のモニュメントが建つ古城緑地公園があります。

中央に流れている水は真田氏の歴史を貫く時間軸を示し、真田氏の発祥から大阪の役までを表現しているのだそうです。

この一帯は「内小屋城」という旧いお城の一部だったそうです。

赤石による六文銭旗は、大阪冬の陣における真田隊の「赤備え」を表わしているそうです。

黒い石には真田一族やゆかりの人物の花押が刻まれています。

以上が真田 信綱・信綱寺のまとめ を “看板資料より一部抜粋” と 古城緑地広場、「真田氏の歴史の丘」です。

訪れた3月14日は雪 で ゆっくり見学の時間 も とれませんでした。

「その16」の記事から一ヶ月が経ち・・・、上田訪問からは五ヶ月が経ちました。

13日と14日の午前中が上田での見学、時間もお昼近くになりいよいよ松代への移動となります。

「その18」は上田見学のお別れと松代までを掲載します。

「その19」~は松代城です。


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