「姫路城」編 その5
1581年
秀吉、姫路城に三重天守を築く
1583年
秀吉が、大阪城へ移り、弟・羽柴秀長が入封
1588年
秀吉の正室(北政所)の兄・木下家定が入封
1600年
関ヶ原の戦いの後、池田輝政が姫路城主に!
関ヶ原戦い後の1600年以降は後日「その5」として掲載します
戦国武将・池田恒興の次男輝政。
小牧・長久手の戦いで父と兄が戦死し、父の後を継いで大垣城主・・・、その後、岐阜城に移る。
秀吉の小田原攻め、会津攻めに参戦。
1594年(文禄3)年に秀吉の仲介で徳川家康の次女・督姫と結婚。
その後、関ヶ原の戦いでの武功が認められ、薩摩52万石で姫路城主となる。
1601年
池田輝政、姫路城大改築開始
1609年
五重7階の連立式天守が完成
1617年
本田忠政が伊勢国桑名から嫡男・忠刻、千姫とともに入封。
父は徳川四天王の一人、本田忠勝、秀吉の小田原攻めや関ヶ原の戦いに参戦。
大坂の陣の戦功により、姫路に転封となる。
2代将軍徳川秀忠の長女・千姫は、7歳で豊臣秀頼と結婚、大坂夏の陣で大阪城から脱出。
1616(元和2)年、本田忠刻に再嫁し、姫路城で10年過ごす。
1618年
本田忠政、鷲山に西の丸を築く
「姫路城編」その6は後日掲載します。
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