March 27, 2016

兼続・ お船 (与板歴史民俗資料館)

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  久し振りに長岡市与板歴史民族資料館を見学 、直江兼続・お船 に 触れました。

平成21年(2009)のNHK大河ドラマ『天地人』は高い視聴率でした。

今年の大河ドラマ『真田丸』の上田城に3月13・14日行って来ました。

今日の第12回のドラマは 上杉家の人質となり、春日山城での場面が多く演じられています。

来週がいよいよ第一次上田合戦です。

直江兼続が登場しているので 懐かしく想い、お船の地元 与板資料館を尋ねた次第です。

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May 05, 2014

兼続・ お船 ミュージアム

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  久し振りに兼続・お船ミュージアム(長岡市与板歴史民族資料館)を観ました。

平成21年のNHK大河ドラマ『天地人』、芳名帳には県外からたくさんの方々でした。

北海道からも 4月からこのゴールデンウィークにかけて何名か記帳されていました。

大河ドラマの視聴率は落ちています。―下記数字は年間平均視聴率です。

09年「天地人」―21.18%、10年「龍馬伝」―18.72%、11年「江」―17.7%、12年「平清盛」12.01%、13年「八重の桜」―14.6%です。

今年14年の軍師官兵衛は4/27放映迄15.93%と良くないです。

「天地人」の前の「篤姫」が24.44%でここ10年余では最高です。

視聴率の20%台確保はなかなか難しいようで、「篤姫」、「天地人」と06年の「功名が辻」の20.93%だけです。

かなり古く「独眼竜正宗」が40%?近くで最高と聞いていました。

昔は日曜日の8時は大河ドラマと決まっていましたが、今はチャンネルも多く、趣味も多様化しています。

ドラマは、幕末、戦国時代、源氏平家を順番に企画されている。

戦国時代を例にとれば、以前の主役を支えた側が・・、山本勘助、直江兼続、黒田官兵衛が主役になっている。

それと女性、「江」、「八重の桜」にしても、昔の主役を支えた側である。

だから視聴率が落ちていると言う事にはならないとは思うが・・・

「天地人」は高視聴率であったのは何よりであるが、お船の常盤貴子の役柄が良かったと思われる。

今日資料館でパネルを観てお船の役割が大きかったのではと思った次第です。

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August 15, 2012

兼続 お船 ミュージアム

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 久し振りに兼続・お船ミュージアム(長岡市与板歴史民族資料館)を見学しました。

平成21年のNHK大河ドラマ『天地人』…、芳名帳には県外からの方々がたくさん記帳されておりました。


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  兼続・お船ミュージアム見学後、『天地人』原作者火坂雅志さんが書した、お船の方生誕御館跡地 と 石碑を見学しました。

この後保養センター「志保の里荘」のお風呂に行きました。―続編です。

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May 03, 2010

与板⇒ミュージアムと城山

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 兼続・お船ミュージアム(長岡市与板歴史民族資料館)を訪ねました。

平成21年のNHK大河ドラマが終わって 勿論初めてでした が 来場者が多いのにびっくりしました。

芳名帳には県外からたくさんの方々が記帳されておりました。

団体でのバスツァーは昨年良く見ましたが、今日はマイカーで連休を利用しての方々が多く、子供と一緒の家族旅行も数組見受けました。


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 知将・直江兼続の居城、与板城址(城山)をミュージアムの後に行きました。

天候も良く、運動不足解消に丁度良いなぁと思いながら登りました。

今日は気温も高く結構汗ばみ、これ以上高い と きついなぁと思うほどで…、体力の衰えを感じました。

昨年一年間 『天地人』 を 観たり 書いたり してきた事を思い出しながら、兼続・お船ミュージアムと与板城跡を楽しんできました。

帰りに与板 の しほのり荘 の 風呂につかりました。

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February 21, 2010

『天地人』完結 PART9

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PART 8より 脚本家 小松江里子さんの続編です。

PART9はナンバーワンでなくオンリーワンの生き方、そこに多くの方が共感してくれた、 と 言うお話です。

兼続は結局、何も残さずにこの世を去りました。

景勝に天下を取らせることもかなわず、個人的にも、3人の子供を全員亡くし、直江家を断絶させています。

それでも、自分の信念を曲げる事なく生き、この人生で良かったと思って死んでいけた。

秀吉や家康があとに思いを残して死んでいった事を考えると、そんな兼続の姿は、ナンバーワンにならなくとも幸せになれると言う事を、私たちに教えてくれたような気もします。

いわば、兼続の示したのはナンバーワンでなくオンリーワンの生き方、そこで多くの方が共感してくださったのだと思う と 脚本家小松さんは言われています。

兼続がそんなオンリーワンの生き方の素晴らしさを示せたのは、一度は天下と言うナンバーワンを目指して挫折を味わったからである、と言う事実です。

最初からオンリーワンでいいからと夢に向かう事もしなければ、兼続の成長はあり得なかったでしょう。

人はやはり、壁にぶつかってこそ強くなれるもの、戦って戦って戦い抜いた先がオンリーワンであり…。

今の時代、兼続のように志が持てなくなったのはなぜなのだろうと考えたり…。

大河ドラマは視聴者にとっても、広く自分を見つめ直すきっかけになってもらいたのかも知れません と 脚本家小松さんは言われています。

『天地人』完結 を PART9まで 綴ってきましたが今回で閉じたいと思います。


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February 06, 2010

『天地人』完結 PART8

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PART 7より 脚本家 小松江里子さんの続編です。
試練を経験して兼続が知った本当の愛の意味とは……?

兼続と言う人のすごさは、関ヶ原の戦いで負けた後の生き方にこそ表れているのではないかと言う事です。

もともと兼続は、戦国武将としては異質な存在です。

上杉謙信の「義」の精神を受け継ぎ、戦略や裏切りがまかり通った乱世にあって、人として美しく生きるとはどういうことなのかと、常に自問してきましたと小松さんは言われる。

そして、自分なりの義を「愛」という文字に見つけて、兜の前立てに使います。

仁愛の心を持って、戦国の時代を生きようとするわけです。

ただ、振り返ると最初のころの兼続はまだ、本当の愛の意味をわかっていなかったように思うと言われる。

関ヶ原に負けたことによってようやく、真の愛の意味を知ったのではないかと…。

というのも、兼続にとって関ヶ原は、自分できっかけを作り、しかも勝てるはずだった戦です。―それを自分が負けさせてしまった。

家康を追う事を止めたのは殿の景勝だけれども、それに従う決断をし、上杉の窮状を招いたのは自分であるわけです。

普通ならみんなに顔向けも出来ず…、責任をとって死ぬことも出来た。

そこをあえて、自らが先頭に立って米沢の立て直しをはかるには、相当な覚悟が必要だったはずです。

だから、その責任感がまず、兼続を大きく変えたのではないかと思います。

自分の悲しみなんて後回しでいいと。ましてや、自分の義とか、武士としての生き方とか言っている場合ではない。

それより大事なのは、家臣や民を生活させていくこと。

みんなをどうにかして生かしていかなければならない。 出来れば幸せにしてやりたい。

そこにはもう自己犠牲の精神しかなかったのではないでしょうか…。

逆に言えば、民の為に思いがあったからこそ、くじけることなく頑張れた事になります。

生き延びるために徳川と手を結ぶという道を選択し、大きな葛藤も覚えましたが、その苦渋に耐えられたのは民がいたおかげ。

それまでも兼続は何度も「民のため」という言葉を口にしています。

でも、負けてつらい思いを重ねてやっと、上杉がどうとか天下がどうとかに関係なく、本当の意味で視線が広がったわけです。

言ってみれば、自分で見つけた「愛」という 志をと育てて、最終的に感謝の愛にたどり着き、周りの人のために精一杯動いて、悔いなく幕を閉じた。

それが直江兼続という人の人生だったと思うんです。と小松さんは言われる。

兼続が本当の愛を知る事が出来たのは、戦って、負けて、とてつもない試練を経験したからです。

その試練に打ち勝つために、自分の中に厳しさも養いました。 愛には、優しさと厳しさ、その両方が必要なんです。

兼続の人生から、そんな実感を得ることもできました。 と 脚本家小松さんは言われています。

次回 PART9はナンバーワンでなくオンリーワンの生き方、そこに多くの方が共感してくれた、 と 言うお話です。

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January 11, 2010

『天地人』完結 PART7

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脚本家 小松江里子さんの続編です。
ドラマの全編を貫くテーマは“紅葉の教え”

雪に閉ざされて戦ができない、人と会えない。その間に、上杉家が兼続が何を思うのか、それによって、春になって雪が解けた時に、どんな芽を吹くかが変わってくると思う…。

あの時代の雪に閉ざされた空間というのは、まさに静けさの中にあったのではないでしょうか。

そこで出来る事は、おそらく考える事だけだったんじゃないかと思います。

謙信のような優れた武将は、義がなければ人は生きられない、その義とは自分にとっては美しく生きる事であると、そんな答えにたどりついたのかもしれませんと小松さんは言う。

とはいえ、そんな上杉家の考え方は戦国時代においては異端です。とくに謙信の死後は、上杉家の武将として潔く生きるという考え方だけでは上杉家を守っていけなくなる。

「人には表と裏がある」という教えもあって、自分が毒を食らう覚悟をし、「御舘の乱」に突入していく。

何と言われても生き抜いていく、上杉家を守り抜いていくという強い思い…。責任を一身に引き受ける兼続の姿に、今の時代にはない潔さを感じてもらいるのではないでしょうかと言われる。

男たちのドラマと同時に、今回は、女性の物語もしっかり描いていきたい。兼続の妻・お船も、本音で話す凛(りん)とした女として登場し、兼続とともに上杉家を守っていきます。夫婦ではなくて同志。

戦国時代といえども、今の時代と人の心のあり方はそんなに変わっていないのではないかということです。

人を好きになる事、そこで悩み考える事、すべて同じ。違うのは、いつ死ぬかわからない時代だと言う事だけです。

明日死ぬかも知れないとなると、みんな無駄口をたたかず まっすぐに思いを表に出すんです。

時代は違っても、そこに生きているひとたちの思いを大切に書く、それだけは守りたいと思っていますと小松さんは言われ、私の仕事は感動を作り出すことだと思います と ……。

現代劇を書くのと同じように、“人間ドラマ”を描くことを心がけて来ました。戦国時代であっても人の心のあり方は変わらない。

大切にしたのは歴史の事象と人の気持ちの融合と言われている。

敗れた側の目線から戦国時代を描く、今までと違う新しい切り口はとても面白いものでした。

秀吉も三成も淀も悪にしない、今回は徳川家康をとことん悪として描くことにした。

試練を経験して兼続が知った本当の愛の意味とは……?

書いているうちに、結構長くなりましたので この辺にします。続きは PART8にします。

今日は成人式、新潟会場の成人式のニュース⇒上杉謙信が武田信玄に塩を送った話は有名ですが、441年前の1月11日の今日だそうです。

敵に塩を送った上杉謙信を 成人代表の方がお話されたのがニュースになりました。


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January 10, 2010

『天地人』完結 PART6

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 PART5は原作者火坂さんの続編 でした、 PART6は 「天地人」の脚本家小松江里子さんです。

小松江里子さんは大阪府出身、1990年にドラマ「卒業」で脚本家デビュー。NHKでは連続ドラマ「かるたクイーン」、月曜ドラマシリーズ「農家のヨメになりたい」、連続テレビ小説「どんと晴れ」などを執筆。

戦国の時代にこんな武将がいたのか。直江兼続という人を知った時、浮かんできたのはそんな思いでした。中でもいちばんに驚いたのは「愛」の一文字を兜に掲げていたという事実です。

乱世にあって愛という言葉を使うなんて、いったいどんな生き方をした人なのだろう。今までにない戦国武将としてその一生を描いてみたいと、興味がふくらんだという小松さんです。

火坂雅志さんが書かれた「天地人」の原作小説は、17歳の兼続からスタートしています。

原作の兼続像をゴールとして彼の成長を描いていく、“青春ドラマ”にしようと。そもそも、生まれついて立派な人なんていないですしね、兼続も迷いながら、傷つきながら、成長していったはずです。

自分の弱さとか悲しみをどう乗り越えていくか、そこに人間ドラマがあると思うので、そこで若き日の主人公を“泣き虫兼続”という設定にしたとの事です。

泣き虫であるという事は、裏を返せば優しいということでもあります…、迷い、立ち止まり、悩むからこそ、人は成長すると思うからです。

妻夫木さんが泣いているシーンって、観ていて本当に心打たれる、この「日本一の泣き姿」を活かしたいと思ったんです。

迷い、揺れながら成長していく兼続ですが、その基本をなしている一つに上杉景勝との関係。

二人がなぜ強い絆で結ばれていたのか、それをしっかりと示すために、原作にはない5歳のころの二人を描いている。

定めとしか言いようのない縁で出会い、なおかつ、お互いが必要としていくエピソードです。

さらに兼続にとって大切になってくるのが、母・お藤の“紅葉の教え”です。

紅葉が美しいのはなぜなのか、厳しい冬を乗り越えるため木は幹に栄養を蓄える。

養分が届かなくなった葉は赤くなり、命を幹に託して散っていく。だから紅葉のような家臣になって上杉家を守っていけと、お藤はまだ5歳の兼続に諭すわけです。これも原作にない創作の部分です。

ドラマの全編を貫くテーマは“紅葉の教え”ですとの事。

又冬を耐えるという部分は雪国越後にもぴったりです。

雪に閉ざされて戦ができない、人と会えない。その間に、上杉家が兼続が何を思うのか、それによって、春になって雪が解けた時に、どんな芽を吹くかが変わってくると思う…。

PART6はこの辺で、―続編はPART7にします。

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December 19, 2009

『天地人』完結 PART5

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 PART4の原作者火坂さんの続編で 末尾が 兼続が「愛」という文字を前立につけた兜を愛用していたことは有名ですが、戦国時代に、このような文字を標語として掲げた武将は珍しい…。でした。

これまで戦国時代について語られる際は、いつも「織田信長」の価値観がよしとされてきました。

「信長中心主義」というのでしょうか?信長には神をも恐れぬ傲岸不遜なところがありました。

信長が従来の価値観や秩序を壊したからこそ、それまでにない合理的な新時代が創られたと言われます。

すなわち信長は「破壊者」であると同時に「創造者」であったといったとらえ方です。

しかし、信長のやり方は何かが間違っていた…、それゆえに、人が付いてこなかったし、最後に大破綻したのです。

だから信長と同じ時代に生きながら、信長と全く逆の方向を目指した上杉家のほうに惹かれる…、 と 火坂さんは言っておられます。

多くの武将が手段を選ばず 天下を目指す中で 上杉は天下を目指しませんでした。

中央志向に行かず、足元の人民の幸福を願いました。

この方向性は、現代の政治経済にも示唆を与えるものだと思いますと語られている。

関ヶ原の後、上杉家は過酷な減封にあいましたが、そんな危機的な状況下でも、兼続の仁愛の精神はいかんなく発揮されました。

家臣と領民を救う優れた経営は、後々まで上杉家の藩政に生かされる事になります。

火坂さんが直江兼続という人物に興味を持ったのは、二十代の頃との事です。

しかしなかなか手がつけられなかった。その理由は、兼続と同じ越後の人間だからですと語られている。

作家がものを書く時には、冷静、公平、中立なまなざしが求められます。

これを欠くと、バランスの悪い小説になってしまう事があります。知りすぎていると言いにくいし、近すぎると書きにくい。

また愛憎や感謝の念が逆に足かせになって、うっとうしさのようなものに転じてしまう事もあります…。

そのようなこともあって、「天地人」という小説は、火坂さんが書いたものの中で形が整っていないほうだと語られています。

ふるさとへの思いの強さ、直江兼続という人への思いの強さゆえなのだと考えるようになり、形が整っていなくてもいいじゃないかと思えるようになったとの事でした。

もう一つこの小説で描きたかったのは、「雪国の心」との事です。

北国に生きる人の特徴としてよく言われるのは、粘り強さや朴訥さ、誠実さなどです。

人々が、深い根雪に負けず、くじけず、辛抱に辛抱を重ねて暮らすことから育まれるのではないでしょうか、 と 語られる。

これは雪国人独特の心性であり、非常に無垢で美しいものだと思う…。

たとえ苦しくても投げ出さず、逃げず、雪が解け、春になって花を咲かせるのが雪国の人間です。

ラジオ番組etc私も聞いた事がありましたが…、大河ドラマ化にあたって、火坂さんが希望したのは、「雪国の心」を表現してほしいという事でした。


「食」が育んだ最強軍団

上杉家では、ふだんの食事は質素でしたが、「いざ出陣」のときは豪華に大盤振る舞いしたそうです。

「最強軍団」の強さの一因は、豊かな食にあったようです。


次回 PART6は 「天地人」の脚本家小松江里子さんです。


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December 13, 2009

『天地人』完結 PART4

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 今回は原作者 火坂雅志さんが『天地人』について熱く語られている事をまとめてみました。

プロフィール
昭和31年生まれ(1956年)、新潟市生まれ(平塚市在住)。
昭和63年に作家デビュー後、名参謀役に光をあてるなど、斬新な切り口で、重厚な作品を次々世に送り出している。

画像は お船の方誕生の地、火坂雅志さんが書した石碑が立っている。

火坂さんは子供のころから大河ドラマのファンで、物心ついたとにには、毎週見ていたそうです。

突然、降って沸いたように大河ドラマ化の話をいただき、それまで静かだった身辺が、にわかに騒がしくないり、まさに「天と地」ほどに違いで、すっかり調子が狂ってしまい、この状況に慣れるまで数カ月もかかったと語られていました。

大河ドラマの原作者になった事は、嬉しいというよりも空恐ろしい気分だったと言ったほうが正しく…、この世界の厳しさを身にしみて感じてきただけに、手放しで喜ぶのも違う気がしていますとも語られている。

火坂さん自身、地味な作家ですが、今回の主人公である直江兼続も、それほどメジャーな存在とはいえない。

いわゆる「大物」や「花形」でない人物が、大河ドラマの主人公として取り上げられた。

天才やヒーローでない、地味だけれども味わいのある人物や、虚偽のない二番手的な人物のほうが輝いて見える時代なのではないでしょうか。

その意味で、直江兼続はまさにぴったりで、謀略や裏切りがまかり通った戦国時代にあって、二心のない仁政を貫いた人だったからです。

兼続は謙信の義の心を強く受け継ぎ、さらに、それを自分の中で「愛」という理想に醸成させました。愛とは、「仁愛」の愛です。

兼続が「愛」という文字を前立につけた兜を愛用していたことは有名ですが、戦国時代に、このような文字を標語として掲げた武将は珍しい…。

途中になりましたが次回の PART5 に続けます。

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