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November 04, 2016

北方文化博物館(中林梧竹展)

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 昨日(3日文化の日)、豪農の館北方文化博物館 と 豪邸の床の間を飾る中林梧竹展 を 鑑賞しました。 

中林梧竹展は「その2」で掲載、最初に北方文化博物館について 紹介したいと思います。

北方文化博物館とは

越後の蒲原平野には信濃川と阿賀野川の大河があり、阿賀野川沿いの横越町(現新潟市)にある戸数三百余りの集落を「沢海(そうみ)」と言います。

ここ沢海の歴史は古く江戸時代の初期、慶長15年(1610年)から77年間は沢海城という城があり、11,000石のささやかな城下町として栄えていたと伝えられています。

沢海城の築城以前は囲いの堤もなく、洪水の際には一面が水に押し流され、水が引き落ちても窪地に水がたまり、沢のようになるので「沢海」と名付けられたと言われています。

その後、沢海は天領となり、代官所、続いて旗本小浜の知行所が置かれていましたが、明治2年(1870年)に藩籍奉還となり、武家による社会は終わりを告げました。

このような歴史の中、江戸時代中期、農から身を起こし、やがて豪農への道を歩み、代を重ねて巨万の富を築いていった一族が伊藤家です。

全盛期には、1市4郡60数ヶ町村に田畑1,370町歩(1,372ha)を所有し、越後随一の大地主として、その名は県下に鳴り響いていました。

しかし、時代は変わり 昭和21年農地解放により、これらの広大な農地は伊藤家の所有を離れることになります。

この伊藤家の屋敷と住宅が、現在の北方文化博物館で、別名「豪農の館」と呼ばれています。

現在では、かつてのお城も代官所も、小浜時代の知行所も跡形もなく、ただ、かつて豪農の館、伊藤家だけが、昔の面影そのままに、数々の歴史を秘めて残っています。

長年の風雪に耐え、往時の面影をそのままに豪農伊藤家の暮らしを今に伝えています。

伊藤家から1時間以上(約45㎞)の弥彦神社、他の地を踏まずにお参り出来たと言うから驚きです。

左画像は会津八一先生が書かれたと聞きました。

右画像は美しい庭園に面した大広間 座敷、床の間を挟んで7つの部屋があり、畳の数は全部で100枚にも及ぶと言うから凄いです。

「その2」は明治の3筆で有名な中林梧竹の「書」 と 大庭園です。

集古館展示の良寛「書」 も 「その3」 又は 「その4」に掲載予定です。


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