『真田丸』上田城・松代城―その16
「その15より ⇒ 「その16」 は 真田信綱 の 位牌所として建立されたと伝わる信綱寺(しんこうじ)です。
画像右はとっても大きくて立派な本堂です。→六文銭がいたる所にあります。
信綱寺(しんこうじ)は真田昌幸の2人の兄・信綱と昌輝、そして信綱の正室である北の菩提寺です。
信綱は真田幸隆の長男として生まれ、幸隆没後の天正二年(1574)に真田家の家督を継ぎましたが・・・、
翌年の天正三年(1575)に武田勝頼に従い三河長篠(愛知県新城市)に出陣します。
有名な長篠・設楽ヶ原(ながしの・したらがはら)合戦で武田方として織田・徳川連合軍と戦います。
しかし信長軍の鉄砲による攻撃を受け、弟・昌輝と共に亡くなりました。
この時、信綱と昌輝の首級は家臣・白川勘解由兄弟が信州に持ち帰り、信綱寺の桜の下に葬られましたが・・・、
江戸時代の享保二年(1717)に信綱寺の移築にともない、墓所も現在の場所に移されたそうです。
信綱寺は真田信綱の菩提寺なのですが、この周辺の檀家を多く持つお寺なので、本堂を中心に広い範囲で墓所があるようです。
長男・次男が武田勝頼の家臣として戦った、長篠の戦いで命を落とした為、
三男昌幸は甲斐の名門・武藤家に養子に出されていた、武藤喜兵衛こと真田昌幸が戻り、真田家の家督を継いだのです。
「その17」 は 信綱寺の続編です。
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