« 剣道錬成会 | Main | 切手シート »

January 25, 2015

松山城城主と長岡京遷都その8

2014_1021_125458dscn8956_2
 左画像は長岡京遷都1230年ののぼり旗です。最初の記事から3ヶ月以上経ちました。

長岡京について記事にしたいと思い、概要から2~3回掲載します。

長岡京(ながおかきょう)は、784年(延暦3年)から794年(延暦13年)まで山城国乙訓郡に存在した日本の首都。

現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にあった

【概要】
長岡京は桓武天皇の勅命により、平城京から北へ40kmの長岡の地に遷都して造営され、平城京の地理的弱点を克服しようとした都市であった。

長岡京の近くには桂川や宇治川など、3本の大きな川が淀川となる合流点があった。

全国からの物資を荷揚げする港「山崎津」を設け、ここで小さな船に積み替える。そこから川をさかのぼると直接、都の中に入ることができた。

長岡京にはこうした川が3本流れ、船で効率よく物資を運ぶことができ、陸路を使わざるを得なかった平城京の問題を解消できた。

発掘調査では、ほぼ各家に井戸が見つかっていることから、そこに住む人々も豊かな水の恩恵を受けていたと言える。

平城京で問題となっていた下水にも対策が立てられた。

道路脇の流れる水を家の中に引き込み、排泄物を流すようになっていた。

長岡京の北西で湧いた豊かな水は、緩やかな斜面に作られた都の中を自然に南東へ流れ、これによって汚物は川へ押し流され、都は清潔さを保っていた。

桓武天皇は自らの宮殿を街より15mほど高い地に築き、天皇の権威を目に見える形で示し、長岡京が天皇の都であることを強調した。

以上概要についてインターネットから参考に掲載、次回は歴史について掲載します。

長岡京の駅を降りた事確か3回ですが、詳しく知りたいと思いながら今回になりました。

|

« 剣道錬成会 | Main | 切手シート »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69465/61032430

Listed below are links to weblogs that reference 松山城城主と長岡京遷都その8:

« 剣道錬成会 | Main | 切手シート »