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December 14, 2014

松山城城主と長岡京遷都 その6

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歴史・沿革 【明治・大正時代】

1868年(明治元年)、土佐藩が松山城を受領・保護(藩主は常信寺にて謹慎したが、翌年には赦免される)。

1870年(明治3年)、失火により三之丸焼失。

1871年(明治4年)、廃藩置県により松山藩から松山県となる。

1871年(明治4年)、失火により二之丸焼失。

1873年(明治6年)、廃城令による処分により大蔵省、内務省所管となり、主に麓の城門・櫓・御殿など城外に払い下げられる。
建物の解体は行われたが、入札はなかった。同年、愛媛県が成立。

1874年(明治7年)、本丸一帯を聚楽園という公園とする。

1886年(明治19年)より1945年(昭和20年)にかけて、二之丸と三之丸は陸軍省の管轄となり、松山歩兵第22連隊の駐屯地が三之丸(堀之内)にあった。

1891年(明治24年)、俳聖正岡子規が、「松山や 秋より高き 天主閣」の俳句を発表する。

1895年(明治28年)、「春や昔 十五万石の 城下哉」の句を詠む(JR松山駅前に句碑がある)。

1923年(大正12年)、松山城(本丸)が旧藩主家の久松家[9]へ払下となり、そのまま松山市に寄贈され、以降、松山市の所有となっている。

画像は城内の展示物です。

歴史・沿革 次は 昭和・平成時代 ~ 続編 「その7」です。


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