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November 23, 2014

松山城城主と長岡京遷都 その4

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歴史・沿革 【江戸時代】

1602年(慶長7年)
伊予国正木城(松前)城主10万石の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでの戦功により20万石に加増され、足立重信を普請奉行に任じ、麓に二之丸(二之丸史跡庭園)と三之丸(堀之内)を有する平山城の築城に着手した。

1603年(慶長8年)10月、嘉明が、この地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。

1619年(元和5年)、武家諸法度違反による福島正則の改易により、幕府の命を受け、嘉明が広島城受領のため赴く。

1627年(寛永4年)、嘉明は、松山城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)が、24万石の松山藩主になる。

1634年(寛永11年)8月、忠知が参勤交代の途中に死去し、蒲生家が断絶する。そのため大洲藩主、加藤泰興が松山城を預かる(松山城在番)。城在番中に替地の申し出が、幕府になされる。

1635年(寛永12年)7月に松平定行が15万石の藩主となり、松山城に居城。

1642年(寛永19年)、創建当初5重であったという天守を、定行が3重に改築する。

1784年(天明4年)、天守を含む本壇の主な建物が、落雷により焼失。

1854年(安政元年)2月8日、第12代藩主勝善が大天守以下、本丸本壇を再建。

右画像は大天守からの眺望です。

歴史・沿革は江戸時代 、 明治・大正は 「その6」 です。

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