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March 21, 2014

京都・滋賀・大阪方面その3

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近江八幡の市街をホテル9階から観た画像です。

八幡山城(はちまんやまじょう)は山手の方向でしょうか?仕事を引退したら見学したい地域の一つです。

八幡山城は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した山城。

羽柴秀次の居城として知られる。別名近江八幡城とも呼ばれている。

通称八幡山(標高283m、比高100m)の南半分山上に築城された。急峻な山城です。

現在の八幡山は独立丘となっているが、築城当時は東西に内湖があり、南の平野部に城下町を配した構造は、安土城と類似した占地に築城している。

城下町は安土城下町を移住させて形成された。

かつての城下町の一部は日牟禮八幡宮境内地、八幡堀とともに近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

八幡堀は琵琶湖の水を引いて作られた堀で戦闘の用をなすだけでなく運河の役割も果たしていた。

1582年(天正10年)の本能寺の変により灰燼に帰した安土城は、山崎の戦いの後の清洲会議によって織田秀信を城主に、織田信雄を後見人として再興することとなった。

しかし翌1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い以降、政情が豊臣秀吉の天下へ移行する。

1585年(天正13年)の紀州攻め、四国征伐で副将格で戦陣に入り武勲を立てた豊臣秀次。

8月23日の論功行賞で近江八幡43万石(豊臣秀次は20万石、宿老に23万石)を与えられる。

安土城の隣地に八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築する。

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。

代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。

築城から10年で廃城となる。


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