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January 05, 2013

「為せば成る」 伝説の名勝負 感動!

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正月の2日、伝説の名勝負 東京五輪女子バレーボール決勝 日本VSソビエト戦です。

まぼろしの映像フルタイムの試合中継激闘!でした。

昭和39年ですから48年前ですか・・・、見事金メダル、3対0のストレート勝ちでした。

大松監督率いる あの回転レシーブ・・・、東洋の魔女です。

河西、宮本、半田、谷田、松村、磯部、藤本etcで日紡貝塚の主力メンバーを中心にした日本代表であったと思います。(選手名の違いがありそうです)

河西選手以下6名があの駒沢体育館に集合された場面がありました。

50年近く経って、全員集まられる事は“すごい”と思いました。

画像の色紙「為せば成る」は40数年前に大松監督が来燕された時書いて頂きました。

燕市の体育協会が大松監督を招待、その時私は卓球の部で出席していました。

鬼の大松、「為せば成る」の大松! 残念ながら大松監督は57歳の若さで亡くなられました。


私にとって「なせばなる」は 好きな言葉の一つです。

上杉家10代目上杉鷹山(ようざん)公の言葉です。 以下上杉鷹山公のあゆみ(歴史)です。

江戸時代、米沢上杉藩は戦の処分などで幕府から領土を減らされ、藩の財政は厳しく村人の生活も困窮していた。

上杉鷹山は10才で宮崎県高鍋藩から上杉へ養子に来て、17才で藩主となり、この厳しい藩の財政を立て直した。

人々が豊かになるための多くの事業に取り組み、新しく田圃を作って領土を増やし、そこに水を引くための水路や灌漑池を作った。

しかし、晴れの日が続くと水不足で米がまったく出来ないことがしばしばあった。

鷹山は心痛し、貧困の村人を救うことが出来ないものかと考え、奉行・黒井半四郎忠寄(くろいはんしろうただより)に調査を命令して、用水事業にとりかかる。

藩と村人が一体となった一大土木事業とし「黒井堰」(くろいぜき)「穴堰」(あなぜき)という水路を作り、米沢盆地北部の水不足を解消して現在の農業の基礎を作った。

他にも新しい産業を起こしたり、教育にも取り組み、72才で死去する頃には、藩の借金は殆ど返却し終わっていた。

アメリカの35代大統領のケネディが、最も尊敬する日本人として上杉鷹山の名前をあげたエピソードは有名。

上杉鷹山が残した言葉として、今でも企業研修などで使われる言葉がある。「なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。」

万事についての可能性を示す遺訓です。

以上 米沢市上杉博物館資料参照しました。

上杉鷹山公は直江兼続公を参考にしたと言われています。―いつか大河ドラマに上杉鷹山が・・・、期待している一人です。

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