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September 09, 2012

早朝の松山―その1

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 松山市は夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも描かれている愛媛県の代表的な観光地です。

松山城、道後温泉 路面電車、坂の上の雲…、有名です。

松山城迄登れませんでしたが、朝の6時半過ぎの40~50分、宿泊の松山全日空ホテルから近い、城山公園を散歩しました。

画像左は宿泊した松山全日空ホテル前に路面電車です。

次が遠くに見える松山城と城山公園です。―お堀のまわりを散歩しました。

下記は松山城の歴史、沿革の一部です。

松山城の創設者は加藤嘉明です。

嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。

そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。

その後も工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく完成します。当時の天守は五重で偉観を誇ります。

しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。

そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成しましたが寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶します。

その後寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。

以上が簡単な歴史です。

一昨年の9月、今年の2月、今回は3回目、9月3日の宿泊・4日早朝の画像です。


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