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February 18, 2012

松山

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 今週(2/15~2/16)仕事で東京(K製鋼所本社)から松山(I 社)に行って来ました。

松山は一昨年の9月以来です。 天候に恵まれた一日でした。

松山市は夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも描かれている愛媛県の代表的な観光地、土産に坊っちゃん団子を買ってきました。

松山は松山城、道後温泉 路面電車、坂の上の雲…、有名です。

松山城の近く迄は行けませんでしたが、朝の7時前後の40~50分、宿泊の全日空ホテルから近い、松山公園周辺を散歩しました。

画像は左から松山空港、全日空ホテル、路面電車、遠くに見える松山城をお堀から眺める。

下記は松山城の歴史、沿革の一部です。

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 松山城の創設者は加藤嘉明です。

嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。

そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。

その後も工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく完成します。当時の天守は五重で偉観を誇ります。

しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。

そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成しましたが寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶します。

その後寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。

以上が簡単な歴史ですが、今度機会があったら松山城へ登りたいと思います。

朝の6時半過ぎにホテルを出ましたが、まだ薄暗く 画像もはっきりしませんでした。

朝食は前日パンを買いこみ 5時半頃食べました。

帰りは松山空港16時15分の東京(羽田)行き、…新幹線で燕三条は21時でした。

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