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January 28, 2012

関ヶ原古戦場 NO.3

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西軍の勇将 「島左近」 は 石田三成 の本陣のすぐ前に布陣していました。

徳川の本陣近くには、戦国最強と呼ばれている 「本多忠勝」 や、赤備えの猛将 「井伊直政」 などの部隊なども控えています。

関ヶ原という場所は四方を山に囲まれたくぼ地であり、その中に入った東軍を、山の上に布陣した西軍が完全に包囲している状況です。

これは誰がどう見ても 「西軍有利」 です。

・・・・戦いは夜明けと共に始まりました。

まずは、先鋒を任された 東軍 の 「福島正則」 と、西軍 で最も大軍を率いていた 豊臣五大老 の1人 「宇喜多秀家」 の軍が戦闘に入ります。

福島正則 の部隊には槍の名手 「可児才蔵」 もいて、かなり強力な部隊と思われていたのですが、宇喜多秀家 軍にも 「明石全登」 という勇将がいました。

この人は 「キリシタン武将」 として知られている人で、後に 「大阪の陣」 という戦いがあった時、十字架とキリスト像を掲げた日本版 「十字軍」を率いて戦ったという、ちょっと珍しい人です。

東軍の主力の1つである 福島正則 の部隊は、明石全登を擁し、兵力も多い宇喜多軍に苦戦、一進一退の状況が続きました。

その後、石田三成 の本隊に、東軍の 「黒田長政」 「細川忠興」 「加藤嘉明」 などの武将の部隊が攻撃を開始します。

この人たちはみんな 「石田三成 暗殺未遂事件」 の実行者であり、石田三成 に恨みを持っていた人たちばかりで、そのために 三成 の部隊の前面に配置されたようですが、石田三成 の本陣の前には勇将 「島左近」 が立ち塞がっていました。

ところが・・・ 島左近 は開戦早々に 黒田長政 の鉄砲隊の銃撃をまともに受けてしまい重傷、そのまま本陣に担ぎ込まれてしまいます!

石田三成 にとって、最も頼りにしていた武将の1人である 島左近 が開戦直後に戦闘不能になってしまったのは大誤算と言っていいでしょう。

その後、石田三成 は自分の部隊でなんとか本陣を維持するべく、奮闘することになります。

・・・・島津軍 に続いて 毛利軍、さらに 長宗我部軍 も動かないため、石田三成 は関ヶ原の側面、「松尾山」 という山に布陣している 「小早川秀秋」 に進軍を要請します。

しかしこの 「小早川秀秋」 という人は、西軍として参加はしたものの、実際には大の 石田三成 嫌いです

しかも戦闘中、東軍からも 「早く寝返ってー!」 という要請を受け続けていました。

彼が布陣していた 「松尾山」 という場所からは、関ヶ原の様子が一望できます。 

彼は有利な方に付きたいと思っていたようですが、目の前の戦いは一進一退のまま、なかなか優劣が付きません。

その様子を見ていてついに痺れを切らした 徳川家康 は・・・ ここで 「賭け」 に出ます。

なんと 小早川秀秋 の部隊に鉄砲隊を向け、一斉射撃したのです!

東軍から鉄砲を撃たれたのですから 小早川秀秋 は怒って西軍に付きそうですが、秀秋 はこれにビビって 「家康が怒っている!」 と思い、あわてて寝返りの準備を始めます!

この鉄砲の話は創作だと言う説もありますが、徳川家康 が 小早川秀秋 が小心者であることを見越して行った催促だったと言われています。

そして迷いの吹っ切れた 小早川秀秋 は、ついに1万以上の軍勢を率いて寝返りを宣言!

目の前の西軍の部隊に襲いかかります!

続編はNO.4にします。


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