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January 21, 2012

関ヶ原古戦場 NO.2

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 関ヶ原の戦いとは、1600年(慶長五年)に美濃関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)で20万もの大軍が繰り広げられた合戦です。

一般的に豊臣vs徳川の「天下分け目の合戦」として知られていますが、厳密には石田三成(西軍)vs徳川家康(東軍)の豊臣家内での戦いでした。

この合戦以降徳川家康が事実上天下の実権を豊臣家にかわってにぎるようになった。

なぜ石田三成と徳川家康は合戦を行ったのでしょうか?

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 左画像が1600年9月15日午前8時開戦時の陣形図です。

石田三成を中心に島・蒲生・島津・宇喜多・大谷・小早川…の布陣です。

「島 左近」の陣地が石田三成の直ぐ左下です。―最上の右画像 柵の奥に「島 左近」陣地 の のぼり旗があります。 

右画像が笹尾山の上から、左が下からの画像です。

「関ヶ原の戦い」 の戦闘は1日で決着が着きましたが・・・
そこに至る過程は結構長く、色々な出来事が積み重なっていきました。

戦国時代の後期・・・ 豊臣秀吉 がすでに天下を統一した後の 1598 年、その 豊臣秀吉 の死によって、「関ヶ原」 への経過が始まることになります。

「豊臣五大老」 は、各地の有力な大名によって構成された 「権力者の代表」 であり、以下の5名です。

関東を支配する五大老の筆頭、「徳川家康」、北陸地方を支配する秀吉の親友であり盟友 「前田利家」、中国地方の西部を支配する大名 「毛利輝元」、中国地方東部を支配し、子供の頃から秀吉に可愛がられていた 「宇喜多秀家」、越後の大名 上杉家 の後継者 「上杉景勝」です。

「豊臣五奉行」 は 豊臣家 の中で実際に政務を取り仕切っていた 「豊臣家の上層部」 であり、筆頭が 「石田三成」、以下 「増田長盛」 「浅野長政」 「前田玄以」 「長束正家」の5名です。

この五大老&五奉行の中で、関ヶ原の過程でもっとも主要な人物となったのが、それぞれの筆頭である 「徳川家康」 と 「石田三成」 です。

豊臣秀吉 の死後、まず行動を起こしたのは 徳川家康 です。

豊臣家 の中で勝手に行うことを禁止されていた、各地の大名や家臣への 「婚姻(結婚)の斡旋」 や 「知行(領地)の授与」 などを、五奉行などに相談することなく独断で行うようになります。

この行動に 「豊臣五奉行」 のメンバーは怒り、特に五奉行の筆頭 石田三成 は 家康 を非難するようになるのですが・・・ 、しかし 「石田三成」 は かなりの嫌われ者でした。

豊臣秀吉 の一番の側近で、秀吉に様々な報告を行ったり、秀吉の命令を各地に伝達する役目を持っていました。

失敗や罪状を秀吉に報告され、処罰を受けた人が多くいたのです。

また、武将の失敗や失態などを、情けや釈明を無視してありのままに報告し、それに対する処罰を告げた。

それでいて自分は 豊臣家 のトップにいる…、そういう役目だから仕方がないのですが、とにかく多くの武将から陰口を叩かれまくる存在でした。

豊臣家の内部対立が、「関ヶ原の戦い」 の主要原因となっていきます。

1600年、~9月14日

石田三成 は 徳川軍 の京都・大阪への進軍を止めるべく、「関ヶ原」 の近くにあった 「大垣城」 という城に入ります。

東軍はこの大垣城に進軍していき、いよいよ舞台は決戦の地 「関ヶ原」 に移ります。

戦場に到着した東軍(徳川側)は、まずは大垣城の近くに布陣します。

徳川家康 の本隊の進軍が思いのほか早かったため、急に増強された東軍を見て西軍(石田三成側)の兵は動揺を隠し切れません。

しかし、これを沈めようと立ち上がった男がいました。 勇将 「島左近」 です。

勇将・名将として名高かった彼は 石田三成 から 「私の知行(領地)の半分以上をあげるから、ぜひ家臣になってくれ」 という破格の申し出を受けて感動し、石田三成 のために尽くしていた武将です。

続編はNO.3にします。

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