『天地人』 完結
上杉景勝の名参謀、主人公 直江兼続は紅葉のような家臣として生き、六十年の波乱に富んだ生涯を終えた。(1619年12月)
兼続は私財を投じ、米沢藩初の学問所、禅林文庫を創設した。
学問所は石田三成と直江兼続との思いを後世につなぐ為の場、ふたりの夢の結実でもあった…。
今生のお別れに兼続を訪ねた初音の言葉。
「信長公のお言葉、覚えておられますか?天、地、人。その三つがそろう者こそ、天下人たりうると」
「天、地、人がそろいし まことのつわものとは、上杉ではなかったかと……」
信長、秀吉、家康。それぞれ天下を治めたが、天、地、人、そのすべてに恵まれた者は、ついぞ現れなかった。しかし、上杉が戦国の乱世の中でも 志を失わずに生き残れたのは、天、地、人、の恩恵ではなかったか―。
大阪の陣―真田幸村の言葉
「戦いは力で制する者が勝つわけではない。何かを残し、次の世につなぐことができた者こそ まことの勝者である」 と 師である兼続は教えてくれた。
直江兼続は、上杉謙信・上杉景勝の二代に仕えた名軍師である。豊臣秀吉でさえ兼続を愛し、豊臣の姓と、主人の景勝とは別に三十万石(実際は六万石)の大禄を与えた。
しかしだからといって兼続は秀吉と直結し 主人景勝の持っている「決定権」を侵そうとはしなかった。あくまでもトップの決定権は尊重したのである。
つまり自分は参謀(軍師)である。
後年、米沢藩の名改革者上杉鷹山公(上杉家十代目)は「わたしの改革は直江兼続殿に学ぶ事が多かった」と改革の姿勢に胸をうたれたと書いている作家もありました。
「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは 人のなさぬなりけり」
ビジネスマンとして 直江兼続の参謀哲学は学ぶところが大であり…、又次の機会にしたいと思います。






































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